イギリスに居た当時、テニス練習の合間に時々通っていた聖堂にアイツは居た。
ばーさんとセットでいることもあれば、ひとりでぼんやり長椅子に座っていることも。
海外にいるせいで日本人を見るとやはり興味が沸く、それが同じ年頃の子供なら尚更。


「……おい。お前、日本人だろう。名前は」





退屈を持て余す子供だった俺は、どうにかして話し相手が欲しいと願いながら毎日を送っていた。

家族は殆ど家にいないし、使用人がその相手になるかというとまた違う。
話し相手、というよりも、単に友人が欲しかったのかもしれない。
家族のこと、学校のこと、テニスのこと。言葉に出来ないモヤモヤとした想いは胸の中にどんどん溜まって溢れ出しそうだった。

その頃の俺はてんで弱っちくて、通っていたテニスコートで同世代の白人の子供相手に負け続けていた。
あまりに負けてばかりだったモンだから、もしかしたら白人の子供に恐怖感すら持ち始めていたのかもしれねぇ。
だから俺は街でも学校でも白人の子供を避けていたし、逆に向こうも弱い俺を馬鹿にしていたから友人どころかまともに会話をすることすら無い。

叶わない願いだと半ば諦めていたところに、コイツを見かけた。
だが初めは遠くから見ているだけ。ガキだったから、話しかける勇気が無かった。

ある日、テニスでまた負けて。堪えきれず尻尾を巻いて逃げてきた教会堂に、アイツはひとりでぼんやり長椅子に座っていた。
まだ混み出す時間じゃないから、他に人は誰もいない。
話しかけてみよう、話したい、話を聞いて欲しい。たとえ間違っていたり……無視されたとしても、誰もいないのだから恥をかくことはない。

そんな必死な想いを、これまた必死で心の奥底に仕舞い込んで。
腹に力入れて余裕ぶって出したはずの声は、もしかしたら少し上擦っていたかもしれねぇ。
両手両腕を大きく振って、ずかずかと近づいて。小せぇ肩に手まで置いて、俺はアイツの世界に俺という存在を主張し、割り込ませた。


「……ッ、」


そうして振り向かせて、間近で初めてまともに見たその顔に、目に、自分の中から息を飲む音がハッキリ聞こえた。


「なまえ?わたしの?」


首をわずかに傾かせ静かな声で俺に問う様子や、愛らしい容姿は――子供相手の褒め言葉で良く使われる――まさに天使のようだ。
だが、その表現には大いに違和がある。……決定的に目が、違っている。コイツは天使を連想させるような、慈愛に満ちた生易しい目なんかしていない。
穢れているという訳では無い、ちゃんと幼子らしい無垢な瞳を持っている。ただ、説明はし難いが、……違うんだ。


「あ、……あぁ、お前の名前だ」

「そうか。、俺は景吾だ」
「けーごくん?」
「そうだ。景吾だ」

「けいごくん、……景吾くん。ん、覚えたー」


舌足らずに俺の名前を呼び、相好を崩した顔はますます幼いものになりながらも、鋭い眼差しは依然として変わらない。
元来の負けず嫌いからなんとか堂々とした態度を保っていたが、俺の内心は穏やかじゃなかった。

その目は観察するように俺という人間を見透かし、甘露のように響く声で俺さえも見たくない弱い部分をも絡め取り、
そうして身体も心も全て掴まれ服従させられてしまったような。
逃れられない恐怖。けれど、ゾクリ、と、背中を走る甘い感覚。そういう、どこか“こころよい”感じを持ったことも事実で。

そうしてコイツに感じたいくつかのもの、それらは今の俺を築き上げた切欠を担っているといっても過言では無いかもしれない。
見透かすような鋭い目からは、人の一挙一動を逃さず捉え、どんな小さな弱点をも見抜く――後のインサイト、のヒントを。
支配される悦びは、トップに立つ者が必ず与えなければならない適度な飴と鞭を本能的に悟らせた。

元々素質はあったらしい、コツさえ掴んでしまえば後はどうってことはなかった。
勿論テニスのトレーニングも欠かさなかったが、それに加えて鍛え上げたインサイトを駆使した俺は、
あんなにボロボロだったテニスで面白いくらい勝ち続けた。そう、脅威だった白人の子供にもう負けない。

は天性からのようだが、常に意識し、たゆまぬ努力を続けた俺にもう敵う者はない。
俺は、誰もが平伏さずにはいられない王となったのだ。















「景吾くん?」


あぁ、この目だ。俺を呼ぶ、この声だ。
記憶の中より幾分デカくなって再び俺の前に現れた女は、相変わらずギクリとさせる目と零れるほどの甘さを含む声の持ち主で。
そしてこの俺を跪かせる唯一の女王だ。










跡部の回想。何やら凄い女になってきたぞ…



作成2011.07.14きりん