(※夢じゃありません 関西弁じゃない忍足侑士の独白、人間失格ぽい雰囲気を目指した産物)





人と関わるのが苦手でした。
いえ、人と関わるのが苦手です。昔も、今も、変わらず、ずっと。

中学に上がるまで。これまで繰り返してきた引っ越しで、何度も初対面を経験しました。
幼い頃、この“はじめまして”を、何度失敗したことでしょう。

僕は、人と関わるということが苦手なのです。

知らない学校の知らない教室に入り、黒板に僕の名前をでかでかと書かれ、僕を知らない教師によって僕という物を紹介され、
それから机と机の間を縫い(これがいつも足を縺れさせた、さながら張り巡らされた蜘蛛の巣を破りながら歩いているようだった。)
衆人環視の中(幾度この視線に慄いたことか)僕は宛がわれた席へ着く。この通例が過ぎれば、また次の障害が僕の前に立ち塞がる。
初めて見た僕を物珍しく思い、僕に群がり矢継ぎ早に質問を飛ばす、僕のクラスメイトとなった子供たちを相手に、僕は気の利いた言葉ひとつ返せません。
それが数日続けば、順応の早い子供たちによる僕の評価は、期待度が高かった分だけ落差が大きく、地に落ちるのは火を見るより明らかでした。
そして僕は誰からも相手にされないまま、次の転校の日を迎えるのです。

僕は、人と関わるということが苦手なのです。

ですが、そんな僕だって学習をします。「あの子、暗いね」「ずーっとブスーッてしてて、顔怖ーい」「話しかけても返事しないんだもん、つまんない」
「何考えてるんだろう」「人の目を見てお話しなさいって習わなかったのかな」「あーあ、変な子が来ちゃったなー」
「もーがっかり」注意深く子供たちの僕に対する評価に聞き耳を立て、どうすれば評価が上がり、人に成り人並みになれるのか。その研究を始めました。

まず僕は、唇の両方の端を上げ、頬を動かすことにしました。初めのうちは引きつった不自然な顔で次の学校の子供たちを気味悪がらせましたが、
それでも僕はめげずに唇の端を上げ、頬を上へと動かし続けました。その甲斐あって、その次の学校では受け入れてもらえました。
笑顔を手に入れたので、次は喉を震わせ、声を出すことにしました。これまで殆どしたことの無いことを急にしようとしたので当たり前ですが、
かすれ声になってしまいます。またも変な顔をされましたが、僕は気にせず声を出し続けました。
やはり異動をする日までに誰かと話をするということはとうとう叶いませんでしたが、僕は滑らかな発声が出来るようになりました。
次の学校では、子供同士の会話を一字一句逃さぬように耳に入れていきました。これまで話中出た話題を纏めれば、
どうやらテレビに関するものが一番多いようです。テレビを見る習慣の無かった僕ですが、家に居るときはずっとテレビを見るように努めました。
休日に至っては朝から晩まで。特に面白いと感じることはありませんでしたが、話題のものを知り、追えるようになりました。
ここでもやはり子供たちの会話に参加するまでには至りませんでしたが、子供たちのしている会話内容についての理解は深まりました。
その次の学校からはこれまで研究した全てを総動員し、人並みの笑顔を心掛け、あまり大きく出すことは出来ませんが人並みの声を出し、
テレビの話をすることで話題の切欠を掴み、相手を注意深く観察し相手の好きなものを探り当て話題を提供する、
また子供の中にはあまりいない聞き役に徹し、時には大袈裟に相槌を打つ。(そうすることで子供たちは増々僕にたくさんの話を聞いてもらいたくなる、
そして僕は僕という物のことを話さないで済む、という打算も僕は持っていました)そうして僕は、人並みの会話に成功することが出来ました。

笑顔、発声、話術。この3つを、地道な努力の甲斐あってどうにか揃えることが出来ました。
その後の地でもそれらを遣い、人らしく、なんとか表面を取り繕えるようにはなりました。もう、変な子だという扱いを受けることは無くなりました。
それから、僕にとってはどうでもいいことですが、穏やかに笑い常に聞き役に回る大人しい僕を、ませた女の子たちは落ち着いていて大人っぽいと称し、
恰好が良いと持て囃してくれるという思わぬ副作用もありました。ときに女の子たちは僕のことでしばしば口論しましたが、
僕はただ、黙ったまま笑ってやり過ごしました。心底、どうでもいいことだったからです。
どうでもいいというより、人と関わるということが苦手な僕にとって、物をめぐり人と人が争うという、その感覚は理解し難いものだったのです。

少し脱線しましたが、話を戻しましょう。僕はとにかく、笑顔、発声、話術。この3つを、地道な努力の甲斐あってどうにか揃えることが出来ました。
ですが、それらを揃えた僕にも、どうしても克服出来ないことがありました。頭の中で、僕に対する評価のひとつが繰り返されます。
「人の目を見てお話しなさいって習わなかったのかな」―――人の目が、僕にはどうしても見れないのです。

3つを揃えた僕が次の目標に据えたのは、人の目を見て話をするということでした。しかしこれが、何度やっても上手くいかないのです。
まずは無難に首の辺りへ視線をやり、そこからゆっくり目線を上昇させていきます。顎、口、鼻と順繰りに進んでいき、そして、最終目的地である目へと到達。
ここまでは、まぁいいのです。ほんのちょっと見るくらいなら、どうってことは無いのです。駄目なのは、僕が耐えられないのは、
長い時間人の目を見つめるということなのです。そして、僕が耐えられないのは、長い時間人から目を見つめられるということなのです。
耐えられなくなると、僕はそっと目線を外してしまうのです。

僕が人の目を恐怖する明確な理由は僕にもわかりません。考えとしては、理由はひとつでは無く、喜怒哀楽、または憎しみや嫉妬、羨望、
人の持つ様々な感情が渦巻き、凝縮された目、今まで僕へと向けられてきた目(感情)の、その小さなひとつひとつを見、全て受け止め、
蓄積してきた為ではないかと、そんな風に思うのです。

ただ、一定時間見つめた後、耐えきれずそっと目を逸らしてしまうそんな僕の行動は、また何人かの女の子たちを勘違いさせてしまったようで。
女の子たちが僕のことで取っ組み合いの喧嘩をしているのを目の前にしたとき、僕の気持ちとしては心底どうでもいいことだったのですが、
その女の子たちの普通と違う、感情も何もかも、己の全てを剥き出し曝け出したあの目を見てしまった僕は、とうとう参ってしまいました。
そのときから人の目を見るという努力を諦め、そして、今後人の目を直に見てしまわないように、
亡くなった祖父が予備用に作っていたまだ度の入っていない眼鏡を持ち出し、掛けるようになりました。

人の目は覗いてはいけない魔境です。人の目は人の全てです。

僕は、人と関わるということが、ますます苦手になりました。














作成2011.08.07きりん