(※榊先生がお相手予定だったものの序盤・夏と蝉が嫌いな女の子の独白)





蝉から発せられる音は、私にとって非常に不快で仕様ない。
茹だる様な気温よりも、肌に纏わりつく湿気よりも、耳から侵入し身体を巡るそれが何よりも私に暑さを感じさせる。

夏は、嫌い。

そう昔から思い知らされている事柄を不本意ながら再度確認すると、私は好奇心で開けた第二音楽室の窓を即刻、力任せに閉めた。
ピシャリと大きな音を立ててまで遮断したはずの不快な雑音は頭から中々抜けず、耳に残り反響したまま。
うずくまり、無駄だと解っていても、思わず両耳を手で覆う。消えることの無い音に頭が割れてしまいそう。
危機を感じ、ますます手に力を込めた。凍えるほどの冷房が掛かった室内に居るというのに背中に汗がじんわり浮かぶのが分かる。
残ったのは後悔だけだ。こうなるのが分かっていながら馬鹿な行動を取った浅はかな自分への。

聴覚が常人の数倍優れているというのは、苦痛でしかない。
何かひとつ気になり出すとその音に意識の全てを向けてしまい、その間にも耳に入り続ける周囲の音も全て拾ってしまうため、
頭の中で気になる音を軸に全てが混ざり合い、不協和音がかき鳴らされるのだ。かなり強烈なそれは、それこそ幼い頃は気絶してしまうほど酷いもので。
一時はいっそ耳を潰してしまおうかと本気で考えた。

ただ、それも十数年生きていれば徐々に慣れ、そして学んでいく。窓を叩く雨、擦れ合う葉、車のエンジン、物が落ちたとき、人のざわめき、
耳で周囲の全てを感じることを止め、聴覚以外――視覚、嗅覚、呼吸(味覚)、触覚、他の感覚へ意識的に分散させてやればいい。
そうしてから大きく深呼吸をすることで落ち着けるようにはなった。おおよそのことは。

蝉。蝉の音だけはどうしても意識しても外せず、未だ長い時間耐えることが出来ない。己のことながら、明確な理由は私にも解っていない。
もしかしたら、記憶にない幼い頃に顔や身体にぶつかった、排泄を引っ掛けられた等の嫌な思いをしたから、とか。
もしかしたら、道端に転がる屍体や、屍体になる寸前の微かに蠢く様が気味悪いから、とか、そういう、大したこと無い理由なのかもしれない。
それとも、もしかしたら、土から這い出てからの七日間、力をフルに使い精一杯鳴く生命の必死さが怖ろしいと。私のどこかが感じているのかもしれない。

そこまで考えて、私はすくっと立ち上がった。もう蝉のことなど考えたく無い。忘れたい。どうにかしてくれる人は、ひとりだけ。
その人を呼ぶためにまた耐え難い音の溢れる中へ今以上身を投じなければならない矛盾を思うと非常に気が重かったが、後の幸福感には代えられない。
その不快分は後でまとめて変換して取り返せばそれでいい。私はピアノに置いていた楽譜を手に持ち、第二音楽室の重い扉を押した。










どうにかっていうか忘れさせてくれるのがタローせんせっていう方向
忘れさせてくれる方法っていうのがごにょごにょごにょ。っていう話でした




作成2011.06.14きりん