(もしも柳がスーツのひとの場合。芥川クリーニング店で慈郎と ※名前変換主不在)





「こんばんは」
「……ぐう」
「フッ、矢張りな」


使い込まれた磨りガラスの引き戸を開ければ、石鹸の良い香りが鼻をふうわりくすぐる。
店の奥、ビニールが掛けられプレスされた洋服が整然と並ぶ様に圧倒されつつ目線を少し下げると、
この店の主である芥川慈郎が、お気に入りのひつじのぬいぐるみを枕にカウンターに突っ伏してすやすやと眠りこけていた。

俺がこれまでにこの店を尋ねた際、慈郎が採っていた行動パターンから生まれたデータを基とし算出した確率により、
今日も慈郎が眠っているであろうことは解っていたが、思わず苦笑いが漏れてしまう。
洗濯物であるスーツを受付籠に置き、カウンターに常備されている記入票に名前や連絡先、洗濯物の種類を記しているとき。
ふと、この店にはじめて訪れたときのことを思い出した。





試験合格後どうにか実務補習を修了し、そのまま監査法人に留まり業務を続けようと思っていたのだが
この商店街の近くに事務所を構える父に請われ、地元へと帰ってきた。
ちなみに実家は隣の市だが、俺はひとり暮らしの気楽さと気ままさにすっかり慣れていたため、家へ戻る選択はしなかった。

理由はまだある。なにぶん会計業務は立て込むことが多く、特に年末年始から3月中旬は輪をかけて忙しい。
深夜まで及ぶこともあり、家に帰ることすら億劫になりがちなのは解っていたので、とにかく近いところが良かった。
それで事務所からも手近で歩いて行ける、周囲の環境が良さそうなこの立海町にあるアパートに居を構えることに決めたのだ。

事務所に入ってから父に任された……というよりも、殆ど丸投げに近い形で引き継がされたのは
中・大手の企業が数社と、俺の住む立海町にある商店街の店舗十数件だった。
教えなくても理解が早い優秀な息子で助かる、とカラカラ笑う調子の良い父を呆れた色混じりの横目で見つつ、
パソコン内のデータや書類を軽くチェックすれば、この不景気ならば仕方のないといった成績の企業とは対照的に
立海町商店街にある店舗はどこも軒並みなかなか良い売り上げを誇っていることに気が付く。


「あぁ、商店街はなかなか景気が良いだろう。あそこは町ぐるみでよくイベントやセールをやっていてな、その成果がよく表れている」


表情に出していたのか、父は俺の思ったことや聞きたいことを先回りして答えてくれる。
まったく、普段は飄々としている割にこういった部分の目聡さ相変わらずだ。
まぁ、そういうコミュニケーションに長けていることや人の機微を反射的に捉えるところは尊敬するひとつではあるが。

そんな父の勧めで一度、商店街を見に行ってみることにした。
一体どのような環境で、どのような工夫をして商売をしているのか。この目で確認し、体感してみたかったからだ。
会計というのは帳簿をまとめるだけでない、どうすれば企業がより良いものとなっていくか。
そういう相談に乗ったり時には的確なアドバイスをするのも仕事のうちだからな。
ついでに、冬物のコートをクリーニングに出すのも兼ねて。

夕方のメインロードを少し歩くと、全体的に騒がしすぎないまでも賑わいをみせており、各店からは活気に満ちている印象を受けた。
すれ違う客側の人間も、皆どことなく楽しそうで優しい良い表情を浮かべている。
俺は過去、とくにこの商店街に来た記憶は無い。しかし風景に懐かさというかノスタルジックを感じ、何となく落ち着く気が。
商店街が賑わう理由は、住宅街が近いから来易い、傍の病院からの帰り掛けに寄る、交番があり治安が良い、などが考えられるが、
そういう雰囲気も客側に安心させる要因のひとつなのかもしれないな。

ほどなくして芥川クリーニング店と書かれた看板が目に入る。
使い込まれた磨りガラス戸、凹んだ取っ手部分のそばに取り付けられた白く小さなプレートには、ご丁寧に“引く”の文字。
そんなところも有り勝ちだな、クスリと笑ってから指定通りに扉を引けば、俺の目に飛び込んできたのは有り勝ちとは程遠い光景で。


「ッ!?」


なんと、男が微動だにせずカウンターに突っ伏していたのだ。
具合が悪くて倒れているのか、もしや……最悪の状態なのでは?そんな考えが頭を過ぎり背中を嫌な汗が伝う。
慌てて近づき肩に触れようとした瞬間、聞こえてきた寝息でただ眠っているだけなのだと分かり安堵したが。
まったく、肝が冷えた。

しかし困った、一体この男はいつ起きるのだろうか。
声を掛ける、もしもしと肩を叩いてみる、少し強めに揺すってみる。
正攻法を全て試してみたがかなり熟睡しているらしく一向に目を覚ます気配が無い。
諦めて出直した方が良いかもしれない、そう思いはじめたとき、俺の背後でガラガラと音を立てて店の扉が開いた。
振り返ると数枚のエプロンを手にした、柔らかな雰囲気を持つ男と目が合う。軽く会釈をすると、その男も応えてくれる。


「こんにちは。洗濯かい?」
「あぁ。だが店主が一向に起きないので、諦めたほうがよさそうだ」
「ふふ、慈郎はいつもそうなんだ」
「そうなのか」
「うん。でも大丈夫、そこに記入票あるよね?それ書いて洗濯物を置いて帰れば、数日で出来上がったって連絡が来るから」
「そうか……正直、客商売とは思えんな」
「あはは。でも腕は確かだから安心してていいよ」


男はサラサラと慣れた様子で記入票を書き入れ、エプロンは受付籠に。
それに倣い、俺も同じように記入票を書き、コートを預けた。


「あ、控えは切り取って持って帰ってね。引き換えになるから」
「ありがとう、色々とすまない」
「いいや、構わないよ。はじめてだと解りづらいからね。この町には来たばかりかい?」
「あぁ。近くの会計事務所に勤めはじめてな、それで越してきたばかりだ」
「え?もしかして、柳先生のところかい?」
「そうだ。俺は所長の息子で、蓮二という」
「へぇ、そうなんだ!いつも柳先生にはお世話になっていてね。俺は幸村精市、この商店街で花屋をやっている」
「改めて、柳蓮二だ。ちなみに父からこの商店街の担当を引き継ぐことになってな、近々また挨拶に寄せてもらうつもりだが、よろしく頼む」
「そっかあ、こちらこそ。あ、柳先生と区別つかなくなっちゃうから、蓮二って呼ぶけど良いかな」
「もちろんだ。そうだな、では俺も精市と呼ばせてもらおう」
「うん!じゃあ蓮二、改めてよろしく。あぁ、俺はこう見えても商店街の組合長だから、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「ほう、俺と同世代で組合長とはすごいな」
「若い感覚の方がお客さんのニーズに敏感だし行動も素早いから、だって」
「なるほど」
「本当は、隠居したいだけの親世代に尤もらしい理由で押し付けられちゃったんだけどね。まぁでも、やるからには手は抜かないよ。性に合わないし」
「フッ、頼もしいな」


柔和な見た目の精市が組合長に推された理由と、
商店街が活気づいているのは若い世代の活躍によるものだということがその言葉によって垣間見える。

そういえば、風景に感じたノスタルジックとは対照的に、どの店も店員は若年層が多かったように思う。
昨今では珍しくやる気のある若者たちが商店街の担い手となり、それを統治し率いるリーダーが有能であるという結果が、
あの売上に現れている、という訳か。フ、良い収穫だった。

また近いうちにという約束を交わし、まだ営業中らしい精市は先に店を出ていった。
それを見送り一息ついたのち、俺も未だ店主が眠ったままの芥川クリーニング店を後にした。もちろん控えは忘れずに。

後日、掛かってきた電話を便りに疑いつつも店へコートを取りに行くと、その時も矢張りというか、店主はカウンターに突っ伏していた。
その店主の眠るカウンターの傍らには仕上がったらしい洗濯物がズラリと並ぶ。
俺のものもその中にあったので手に取って見れば、よれやしわなどは一切無い、美しい仕上がりで大変満足のいくもの。
なるほど、精市の言ったとおり腕は確かなようだ。

ここで俺にはもうひとつ困ったことが。


「さて……支払いはいったい」


どうしたものかと思案すれば、今度は丁度仕上がったワイシャツを取りに来た丸井という気さくな男に助けられたが。
人同士助け合いが出来ているのもこの商店街の暖かい雰囲気の一因なのだろう、これでデータがまたひとつ増えた。





その後も仕上がりが良いということ、良心的な価格ということもあって俺はこの店に通っているが
いよいよ時は年度末に差しかかろうところ。
実は今日はスーツを洗濯に出す以外に目的があってやってきた。

書き込んだ記入票と一緒に、慈郎に用意してもらうべき申告に必要な帳簿や書類をリストアップしたメモを置いた。
このように眠ってばかりの慈郎だ、おそらく、いや、確実にギリギリになってから慌てるに違いない。
これも効力が現れるかどうかは不明だが、やらないよりはマシだろう。他にも色々抱えている俺の方も慌てるのは嫌だ、対策は早いうちが良い。
万一、証明書等を無くしていたとしても再発行を掛ける期間が取れるからな、その辺も目立つよう赤字で記しておいた。


「遅れたら俺は容赦しないぞ、覚悟しておけ」


慈郎の頭をポンポンと軽く叩いた後、俺は店を後にした。もちろん、切り取った控えはきちんとポケットに入れて。










あー、柳さんに申告お願い出来るんなら帳簿とか超がんばれるのに。
ギリギリになって慌てるのは私のことですさーせん/(^o^)\




作成2011.01.17きりん