(※遊び人な女子と、完全な大人のお話)





心と身体が直結しているタイプの私は、物事を深く考えることをせず。
楽しそうな誘いには必ず乗るし、また誘いに乗ってくる人間にも片っ端から手を付けていた。
見る目なんて備わっていないくせに、今日まで何事も無かったのが不思議に思う。
まぁその“何事”が、とうとう今日やってきてしまったのだけれど。


「1回したくらいで彼氏面しないで」


そう言うと、目の前の彼は真っ赤な顔をして私の頬を思いっきり叩いた。
思い切りが良すぎて、私は思わず地面に尻餅をついてしまう。
じんじんと痛む、叩かれた方の頬を手のひらで押さえる間も無く、
血が昇って抑えが利かなくなった彼に、同じところをもう一度叩かれる。
今度はビリリとした電気が唇の端に走った、何かが流れるような感覚がしたから多分血も出てる。

それを目の当たりにしても、彼は大声を上げながら叩き続けた。狂ってんじゃないのかってくらいに。
何度も何度も同じところばかり叩かれたから、そこはもう熱を持つばかりで痛みなんて感じない。
衝撃で脳が揺れて、ぼうっとして、もう何も考えられない。
“今までの行いに対する報いだ”そんな無意識からの自分の声が聞こえたような気がして。それから意識が飛んだ。















「……おい、おい。大丈夫か」


気がついて初めに聞こえてきたのは、耳障りだった彼のヒステリックな声では無く、
若干いつもより焦りを含んではいたが、全てを包み込んでくれそうな、穏やかで低い声。
ゆっくり目を開くと、心配そうに私を見つめる顔が視界一杯に広がる。
その人の名前を口に出そうとして唇を少し開くと、またビリリと痛みが走ったからそれは叶わなかった。


「血が出ているな」


先生は片膝を付き左腕で私の上半身を起こしながら、空いている右手で胸元のポケットからハンカチを取り出した。
それからそのハンカチで私の口元を拭ってくれたそのことに、物凄く違和を感じる。違和というよりも、意外。
他人に対しての関心が無い人だとずっと思っていたから。

そりゃあ、学園の先生と生徒という関係からも、対人間としても、
意識は無いわ血を流して倒れているわな人間を放っておくようなことはしないだろうけれど。
拭ってくれた手つきが優しかったから、そう感じさせたんだと思う。

呆けっとそんなことを考えて動かないでいたら、先生は私が立てないと思ったんだろう。
私を改めてその場に座らせてハンカチは私の手に握らせて、先生はシャツの袖ボタンを外して少々自由が利くようにして。
それから


「ひゃっ、」
「じっとしていなさい。恥ずかしければ、顔は私の方へ向けていればいい」


ひょい、と私を抱き上げたのだ。

まさかの人生初の“おヒメさま”抱っこ、相手が先生ならむしろ光栄だけどやっぱり恥ずかしい。
放課後どころか最終下校時刻に近い今だから、人気が少ないのは助かった。
それでも保健室へ向かうまでの道中、すれ違う誰かがいたらイヤだったから。
言われたとおりに先生の胸へ顔を埋めておいた。ふうわり鼻をくすぐる先生の香りにドキリとしたことは、黙っておく。

私(まぁ、標準だと思う。……たぶん)を抱いて。
この広い学園内、距離だって結構ある保健室までの道のりを早足で歩く先生は息のひとつも上がらない。
激しい運動を必要としない音楽の先生なんだけど、もう四十路もいくつか越えてるはずなんだけど。
基礎体力がしっかり備わってるみたい。下手しなくても、打たれた程度で意識飛ばす私なんかより体力あるんじゃないの……
確かに200人もいるらしいテニス部をまとめるには、それくらいないとやってらんないのかもしれないけど。

驚いたのが、保健室に付いてからの先生の行動。
私を抱いているせいで手はふさがっていたし、保健担当が既に帰宅していて中には誰もいなかったせいで仕方が無かったんだけど、
なんと先生は扉を器用に足で開けたのだ。私なんて、別に下ろしてくれて構わなかったのに。
普段、こんな風なお行儀が悪いことは絶対しない人に、そんなことをさせてしまい少し申し訳なく感じてしまった。

ゆうに3人は座れそうなソファに私を下ろし、先生は保健室の扉を閉めてから、薬品棚の中から消毒液と脱脂綿を取り出した。
運動部顧問らしく慣れた手つきで、既に血は止まっていたけれど切れてそのままだった口元の手当てをしてくれる。
傷口に効いているのかヒリヒリとした熱い痛みに思わず顔をしかめると、先生からは「我慢しなさい」と厳しいお言葉。

自分の考えすぎだと勿論解ってはいる。先生は私が何をしてきたかなんて知らないはず。
それでも、優しい態度や手付きに反してその冷静な声の色。―――“自業自得だろう”
そんな言外の意味があるんじゃないかと思わず勘繰ってしまう。自分自身に思うところがあるから、尚更に。

少しの苛立ちを持ち始めた私に気づかない先生は、新しい脱脂綿に消毒液を染み込ませて私の前に跪く。
(膝も擦りむいていたらしい、手当てされて始めて気付くとかどれだけ鈍感なの)
その姿はまるで騎士(ナイト)のよう。
だけど仕事はお姫様を守るというより、だらしの無い“おヒメさま”のお守りをしていると言った方が正しい感じかもね。


「榊先生」


それならば何をしても許される気がして、どんな要求でも従ってくれる気がして。
この遣る瀬無い気持ちを解消出来れば何でも良かった、私は何かを忘れるための術はこれしか知らなかった。


「どうした?……


手当てが終わって、用具を薬品棚に仕舞うために背を向けた先生の腰に両腕を回して、後ろから絡みつく。


、が良いです」
「……全く、いけない子だ」


敏い先生。その言葉だけで私が何を要求してるのかを汲み取ったようで。
首だけこちらの方へ振り向き見下ろし、傷が開くのも無視して口角を上げて笑う私と目を合わせた。
見開いた目をじいっと。
可愛らしさを意識した上目遣いで逸らすことなくオネダリを続ける私の方へ、身体を屈めて顔を近づけてきたから。


「ふぎっ」


てっきり願いを叶えてくれるんだと確信し、顎を上げたまま目を閉じた私を襲ったのは自分の変な悲鳴と鼻を挟まれた感触。
驚いて目を開ければ、視界いっぱいに大きな指と手。
それを放しながら先生は、馬鹿にしたような目を向け嘲笑うように口元を歪めた。(私には、そう見えた)


「ちょっ、」
「もっと自分を大切にしなさい、
「〜〜〜〜〜別に私なんて、そんな大層なものじゃないです!」


まさか誘いをかわされるなんて思ってなかった上に、ここぞとばかりに私を苗字で呼ぶ先生への歯痒さ。
思い通りにならない相手に堪えきれない感情が爆発してしまう。
先生は何も悪くないのに、むしろこんな私に手当てまでしてくれたのに。
当り散らす自分が一番どうしようもない、痛い程にそれを頭で理解出来ていたから余計に。
更に大きく募った思いは行き場を無くして。……もう、泣いてしまいそう。


「そんなに自分を卑下するものじゃない」


先生は口元の歪みを正し。変わらない冷静な声でそう言い、投げやりな私の頭に手を置いた。
最初に触れたときと同じその優しい手に、妙に苛々が消え、心が少し軽くなったような気がする。


「では、気をつけて帰りなさい」


脱力した私の腕からスルリとすり抜け、ポカンとし毒気が抜けたであろう私の顔を確認した後、先生は保健室の扉を開けた。
そのまま出て行くのかと思いきや、先生は境目で立ち止まり扉に片手を掛けて半身だけこちらに向ける。


「……あぁ、そうだな」
「?」


「もっと誘惑が巧くなったら。またおいで、……


目を見開いて大いに驚いた私へ、ニ、と悪戯っぽく笑うと今度こそ行ってしまった。
もう……冗談も言えたんですね、先生。完敗です。










節操無いタローにしようかとも迷ったんですが、節操無くなったらサイトに置けないので却下^^
あと、「いけない子だ」は「悪い子だ」とも迷ったっす。今後どっかで「悪い子だ」を使いたい。




作成2010.05.12きりん