(ジローちゃん妹は氷帝の生徒ということで)





「あー、跡部さんおはようございまーす」


気の抜けたような間の抜けたような。そんな声が始業前のこの時間帯、廊下を歩いているとしばしば背後から飛んでくる。
語尾がのびきったその独特の緩い口調は音としては決して大きくないに関わらず、喧騒の中においても何故か耳立つ。
振り返るとその独特の口調の持ち主が両手に何やら大荷物を持って、へらりと笑って俺を迎えた。口調同様の緩い立ち姿で。


「おう、ジロー妹。……お前、相変わらずネクタイがとっ散らかってんぞ」
「ああー」
「ああー、じゃねぇ。ったく、兄妹揃って仕方がねぇな」
「いつもすみませーん」


どんな結び方をすればそうなるんだと小一時間問い詰めたくなるような、
そんなバランスの悪いネクタイを結びなおすのが半ば日課になりつつあるのは気になるところではあるが。

家業がクリーニング店ゆえキッチリと仕立てられた手触りの良いネクタイを指先で楽しみながら。
テニス部員でも学園の一生徒でもなく、弟妹の面倒を見るってのはこういう感覚なのか。
兄弟がいるっていうのも、案外悪くねぇかもしれねぇ。
―――なんて、ふと感じ入る。まぁ、ここまで手が掛かるようなのは考え物だが。


「今日もジローの忘れモンか」
「そうですー。今日は体操着とー、数学の教科書にノートとー」
「おいおい、まだあんのか。お前も毎回大変だな、後でジローに言っといてやる」
「はい、あとはお弁当ですー。あーまぁ、言っても同じなんで大丈夫ですー」
「まぁそうだろうがな……っと。ほら、出来たぞ」


自分で自分のものを結ぶのは軽いモンだが、他人のネクタイを結ぶってのは案外難しい。
最初のうちはかなり苦戦したが、今では軽い雑談もまじえながらすんなり出来るようになった。
すんなり出来るようになるほどの回数を重ねたってのは、……この際考えねぇ。

繰り返す同じ動作。キュ、と結び目を締め仕上げれば、毎回同じ美麗な形が出来上がる。
この完璧な完成形を見たその日は一日、引き締まった良い生活を送れるような気さえしてくるから不思議だ。

ついでに、おおー、という本当に感心してるのかイマイチ解んねぇローな感嘆の声も
ありがとうございますー、とこれまた鈍いテンポで続くのも毎回同じで。


「あー。すみません跡部さん、ちょーっとここで待っててもらってもいいですかー?」


その後、それじゃー、と去っていくまでが一連の定型だったが、今日はなにやら様子が違う。
訳が解らないながらも、別に構わねぇ、と了承の意を示せば
それを聞いた瞬間、ジロー妹は今までの緩さは何だったんだと思いたくなるほどのスピードでC組へ飛び込んでいった。

約束した手前、破るのは性に合わねぇ、とりあえず腕を組み廊下の壁を背にして待つことに。
しばらくすると、同じスピードでこちらに向かってくるシルエット。
予鈴が鳴るほんの2〜3分前に目の前に戻ってきたジロー妹は、肩で息をしながら俺に何やら紙袋を突き出してくる。


「なんだこれは」
「跡部さん、お誕生日おめでとーございまーす」


髪の毛はボサボサ、スカートのプリーツも乱れていたほどだったのに、
何故か俺の結んだネクタイだけはピシリと整っていて、ぱっと花が咲いたかのような笑顔は妙に輝いて見えた。


「お、おう……」
「いつもお世話にーあっ、兄妹ともどもお世話になってるんでー。そのお礼ってことで貰ってくださいー」
「フッ!兄妹ともども、な……あぁ、貰っといてやる」
「よかったー」


嬉しそうな笑顔を目の当たりにしたせいか、ついつい俺まで顔が緩んじまう。
そんなだらしない顔を見られたくない、照れくせぇのが手伝って、俺はジロー妹のボサボサの髪の毛をさらにかき混ぜてやって。
それから、


「―――ありがとな」


何するんですかーという笑い混じりに上がる信憑性の無ぇ抗議の声に、紛れるくらいの小せぇ音でつぶやいた感謝。
別に伝わらなくたって構わねぇ、むしろ気恥ずかしいから聞いてくれるな。
ただ単に、俺が声に出して言いたかっただけだ。


「んー、もー!時間無いんで教室戻りますーっ」


その言葉には気づかず俺の手からスルリと逃れ、駆け出したジロー妹をからかうように笑いながら見送ってやると
ジロー妹は少し行ったところでふと立ち止まり、こちらを振り返る。
そしてメガホン代わりの両手を顔の両側に持ってきて、廊下どころか階全てに聞こえそうなほど無駄にデカい声で俺へと叫んだ。


「アーン?どうし、」
「跡部さーん!こっちこそ、いつもありがとうございまーーーっす!」

「〜〜〜〜〜うるっせぇ!早く教室戻れ!」


(ちくしょう、そんな事だけしっかり聞いてんじゃねーよバーカ!)





踵を返しペタペタと廊下を走っていくジロー妹の背中へ見えない悪態を投げつけてから
今の騒動のせいでほぼ衆人環視の中、俺もどうにか教室に戻り自分の席へつく。

机の上には毎年の事だが、誰からか解らねぇプレゼントが山積みにされていて。
なんとなく、ジロー妹から貰ったモンがそこに紛れ解らなくなっちまうのを嫌った俺は、
後から再度見たときに覚えていられるよう先に開けて確認することにした。
幸い、教師はまだ教室に来る様子は無い。

椅子に座り膝の上に置いた紙袋を開くと、入っていたのはオレンジ色の布包みがひとつ。
プレゼントというには見た目に何処か違和を感じつつ、厚手の布の結び目を解くと中から出てきたのは
羊のイラストがプリントされた、プラスチック製の見覚えのある箱。
開けるまでも、ましてインサイトを使う必要もねぇ。


ジローの弁当だ、誰がどう見ても。


「クッ、“ Ich bin als ein dummes Kind schon ”…ってヤツか」


……あの間抜け娘からは、今後も当分目が離せそうにねぇな。










高校にあがってから毎朝の習慣が無くなってしまい、なんとなく落ち着かなかった
結果→ ネクタイ結び魔になるあとべ ってところまで考えました




作成2010.10.04きりん / 『A bouquet of 100 people』様へ  素敵な企画に加えてくださり、本当にありがとうございました!